私の地元の公民館の活動として歴史街道ウォーク/加太ウォークを提案して昨日案内してきました。
この公民館事業、昨年までは「熊野古道ウォーク」をシリーズとして行っていましたが、公民館長さんから「今年度はコースを変えたい」と相談され、それなら私がやってきた「歴史街道ウォーク・南海道を歩く」のシリーズでどうか?と提案していたものです。
加太はこれまで、万葉の会のウォーク、会社OB会のウォーク、そして
昨年のウォークで行ったコースもあり、”勝手知ったる”ところでありますし、南海道ウォーク(歴史街道ウォーク)の常連ガイドでかつ加太の住人の方にガイドをお願いして…、ウォーク運営は不安はないコースでした。
歩き始めて先ず、加太の入り口ともいう地で、江戸時代の道標と常行寺の
ビャクシン(県指定天然記念物)を説明してもらいます。
その後加太の街の説明、歴史・地誌てきな説明を受け、
この地の氏神様、加太春日神社を訪れます。写真の本殿はかつては国宝の地位だったんですが、その後法制により重要文化財とされましたが由緒ある神社です。今回神主さんに本殿内部を案内頂き、
欄間の彫刻等普段は見られないものの見学・説明を受けました。
次いで
行者堂は役行者にゆかりの堂で、毎年葛城修験の行事が行われています。
(葛城28宿は加太から始まるのです)
ついで人形供養で有名な淡島神社を通り、
田倉崎灯台下の万葉歌碑を訪ねます。
実は、公民館ウォークのメンバーは別に万葉集に興味を持っている人たちではないんですが、私の企画ですから万葉集にゆかりのある物・場所は立寄りが必須なんです。
歌碑内容は「紀の国の 飽等(あくら)の浜の忘れ貝 吾(あれ)は忘れじ 年は経ぬとも 作者未詳(巻十一-二七五九)」
歌碑に建立年月日や建立者、揮毫者についての記載はありません。ただ、紀伊万葉の副会長 佐々木政一氏の著書「紀伊国万葉歌碑散歩」によると、建立年月日:昭和58年11月1日、揮毫者:辻本龍山氏 と説明されています。
昼食は、加太の地魚料理屋さんである「いなさ」で
チラシ寿司を食べます。戸外でコンビニ弁当ではありません。
午後は深山地区での
砲台跡の見学です。日露戦争の時代に紀淡海峡を外国船が通過して大阪まで行くのを防ぐための海防施設で、由良要塞群と呼ばれ、この加太地域で複数地区また淡路島でも複数地区等の砲弾群が設置されていたのです。 友が島の砲台跡は「天空の城 ラピュタ」のモデルだったとかなんとか、若い人に人気のスポットにもなっています。
この深山砲台跡は展望公園にもなっていて紀淡海峡、眼前の淡路島から神戸方面は遠く四国方面も見られます。
そして
山桜がきれいに咲いていました。 この辺の山の中、途中で寄った行者堂でも山桜は見られました。
ほぼ予定のスポットを見終わりかけて、二つ目の万葉歌碑を訪ねます。
城ケ崎の歌碑です(全員の集合写真ではありません、写真で取り敢えず集まった人たちです)
ここの歌は「藻刈り舟 沖漕ぎ来らし 妹が島 形見の浦に 鶴翔るみゆ 巻7-1199」です。
歌碑の石材が紀州青石であること、建立・揮毫についての情報が歌碑には記載がないですが、先の田倉崎の歌碑とセットで建立されたものと思います。城ケ崎の海岸は
潮が引いているとこの洗濯板のような岩がもっと露出してなかなかの景観となるのですが、この日は未だ引きが少なかったです。
この辺りで、
ウリボウがウロウロしていました。金網がありますが別にオリではなく少し先で金網の切れるところではオープンになります。
最後に全くウォークと違う話題ですが、帰りの道で
衝撃のガソリン価格(安い!)のお店がありました。
車で通っていて、何か渋滞してる、どうやらお店に入る車の行列がある、と思っていたら行列の先はこれでした。
今和歌山市では、130円±2円の範囲で8割くらいのお店で、それより高いお店が少々という感じですから。信じられない価格ですよね。
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