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2014年12月

2014年12月31日 (水)

大晦日

今年もあと数時間で終わります。少し思い起こしていますが、色々ありました。

やり残したこと、うまく出来なかったことなどが、先ず頭をよぎります。勿論楽しいこと、上手くやり遂げたこともあるのですが。

カミさんはお正月を迎える準備で大忙しでした。

Photo  おせち料理の準備が大変です。

黒豆、筑前煮、ブリ照り焼き、栗きんとん、コンニャクピリ辛煮、など種類も量も沢山作ります。

Photo_2重箱も料理が減ると継ぎ足し、詰め替えするに足る量があります。

家族で数日食べる訳ですから。(と言ってもおせち料理以外も食べますが。)

Photo_3 玄関も正月風なはなが活けられます

Photo_4
 年賀状未だできていません、書初め代りにお正月に書くことになります。

 (着くのは遅くなりますねえ)

今少しだけTVで紅白歌合戦を点けてみました。 でも様子見だけで、続けて見る気はしません。大晦日といっても特に見たいTV番組がありません。帰省している息子は、例年「ダウンタウンの笑っちゃいけない」とかいう番組をみるようになり、今も見ています。

Photo_5 注連縄も用意しました。

車に付ける注連縄は止めてかなりの年月となるが、玄関には当面飾ることを続けると思います。 正月の風習も廃れていくのですね。

毎年大晦日がきて、新年を迎えます。 とにもかくにも今年1年は無事に過ごせたと言えます。

皆さま、良いお年を。








2014年12月27日 (土)

村山富市する

年末になっているんですねえ。いまいち実感が湧かないのですが…。

年賀状は全く手付かずだし、家の片付け掃除も出来てないし。弱りました。

正月というのが特別な日でなく、普通の一日とあまり変わらない日という感じに近くなってきています。

ところで、タイトルの「村山富市」ですが、我が家の符牒のようなもので、

Before

Before_2こういう状態のことを呼んでいます。  (しょうもない話です)

で、カミさんが今朝、タイトルの言葉「村山富市する?」って発したのです。

結果、After カミさんの鋏入れにより、

Before_3  このように富市状態を脱しました。

しかし、老化により色々成長も止まっているのに、眉毛の成長は以前より活発なんですねえ。 何でヤロ?

さて年賀状も大掃除も手付かずですが、決してヒマしている訳ではありません。

自治会での資料配布、万葉グループでの連絡業務いくつか、1月に主催する信仰と道に関する講演会での連絡、文化庁P/Jの来年度計画を考える(→これは今日は作業できませんでした)、…

年賀状ソフトのチェック(パソコンが変ったため再インストール)、住所録が再現できないという大問題が生じています。(泣 sad

それに、

Photo 最近ときどき用ができた、保護観察所。

来月5日までが提出期限という書類があり、正月でややこしいので本日書類作成して持参しました。夕方4時過ぎでしたが、仕事納めして年末業務終了というよりは、普通に未だ仕事している状態に見受けられました。

明日から、カミさんが学校休みで年末モードに入ると思われます。私もブラブラ(決してブラブラでないのですが)してると、やばいので、年末モードの作業に入るようにします。








2014年12月22日 (月)

お誕生会

今朝も朝から雪がチラつき寒い日です。朝から用件があり街中まで出ていましたが、紀の川を越えるのが冷たく、顔も手もシバレル感じでした。

マフラー、マスク、厚手の手袋と防寒の程度を上げないといけないですね。

さて昨日は京都まで孫のお誕生会に呼ばれて行ってました。

Photo 部屋には「HappyBirthDay」の旗飾りが用意されています。以前は窓ガラスにシールが貼られていましたが。 バージョンが変りました。

で、ランチはPhoto_2ピッツアのご馳走です。

それにPhoto_3   もちろんケーキがあります。

さらに嬉しい、

Photo_4  プレゼントの贈呈。

パパのお祖母ちゃんから、ママのお祖母ちゃんから、それに伯母ちゃん、パパとママからと、沢山貰っちゃいました。

おじいいちゃん(私)は孫からのお手紙を貰いました。

Photo_5


Photo_6これは嬉しいプレゼントでした。






それにPhoto_3   もちろんケーキがあります。

2014年12月20日 (土)

高校作品展

カミさんの高校の作品展に行って来ました。

先の万葉フォーラムで書の作品を出展して貰ったことで縁が出来て、この作品展を紹介さ

れていました。
Photo_11


パンフレットによると今年は第32回となるような伝統ある行事のようです。

書道、美術、家庭、華道、写真の分野で授業と部活での成果が展示されています。

作品数多いし、いずれも力作で見応えがありました。

Photo_3 書の作品ブースです。

Photo_4

Photo_6  作品の感想が書かれた冊子もあります。

Photo_7感想と合わせて作品を見ると、また鑑賞が深まります。生徒さんたちが、真剣に取り組んだ作品であることがヒシヒシと伝わってきます。

次の作品は私たちが主催した万葉フォーラムでの作品展に出展のあったものです。

Photo_5

美術の作品も面白かったです。

Photo_8

Photo_9
家庭科で作成した成果も展示されていました。

Photo_10


高校生の作品展と言ってもなかなか見事なものでした。

来年はもっと時間をゆっくり取って楽しもうと思いましたね。




2014年12月17日 (水)

冷え込みました

一気に冬が加速してきました。北の方では雪の被害が出ています。この時期としては信じられないような低気圧が生じているようですし。(台風並みでしょうか)

Photo (公園は冬枯れ状態です)

 ここ和歌山市でも突風は強く吹く、小雪が舞うというお天気でした。

水に触ると手がかじかむ思いがするし、バイクで外へでると横風で倒されそうな恐怖を感じる日でした。

そんな日でしたが、今日はテニスの予定日。どうなるか?と思ってましたが、ほぼ同年代のオジサン。オバサン、しっかり集まりましたネ。寒さなんて何するものぞ、との勢いです。

そして今のコートは自然の地形と周りの木で、防風効果はすごく高いのです。コートに行くまでは強風に煽られていたのですが、コート内は時々スーっと吹く程度ですみます。

Photo_2  (冬枯れで花の少ない時期に目を楽しませてくれるのは、山茶花です。)

カメラに収めることは出来ませんでしたが、時折雪も舞っていました。 でもそんなことは障害とならず、しっかりテニスを楽しみました。

この前2週間くらいプレーが抜けたのと、もうスグテニスも正月休み、冬休みに入るのでやれるときはやる、という気持ちです。

Photo_3寒椿もポツっと咲いていました。

未だ寒さは数日続きそうです。弱暖房では室温12℃にしかなっていません。着物を着込み、足温器を使ってしのいでいます。



2014年12月15日 (月)

寒い中、本年4度目の高野山ウォーク

昨日(14日)本年4度目となる高野山ウォークに行って来ました。

17 途中紀の川が遠望されます。

寒い日でした。通常でも高野山は和歌山市より6から7℃は低いですから、予報ではこの日マイナス4℃となっていたんです。Photoうっすらと雪化粧となった山道を歩いていきます。
 お天気は良い筈だったのですが、雪に降られる結果でした。

今回ウォークは会社OB会の行事としてで、コースは町石道の全コース歩き通すのは避けて、慈尊院から上古沢駅まで、と町石の1/3くらいまでとなってました。

私も11月まで毎週のようにウォークに出掛け、歩くことに関して周りから「健脚」と驚かれるくらい良く歩いていました。(歩行距離、歩行スピードともに若い人にも負けていませんでした)ただ、12月に入り、ウォークもなくなると、却って調子が狂ったか、或はそれまでの酷使のツケが回ってきたか、膝の調子が悪くなり、外科で鎮痛剤とパップ剤を投与してもらい服用中で、山歩きにやや不安もあり、高野山全登山より安心して参加できていました。

一行の集合場所は南海電鉄九度山駅です。多くは大阪方面から南海電車で来ます。私は和歌山からJR和歌山線で橋本駅乗り換えでやってきました。

1  九度山駅です。

ここで少しトラブルが発生しました。予定のメンバーで遅れる人がでて、一電遅れてのウォーク開始となったのです。

駅を出て、真田幸村ゆかりの郷を過ぎ、町石道の起点となる、慈尊院に辿り着きます。Photo_2 この直ぐ上の丹生官省符神社への石段途中に、町石の最後(高野山大門から数えて)となる180町があります。

180
神社では、Photo_3 雪が舞い始めていました。

その後冒頭の写真のように少し雪が積もった道で、寒さに手がカジカミながらゆっくり歩き出しました。町石道は標識がしっかりしていて、まず迷うことはありません。でも前回来た時は無かった表示がありました。

Photo_5  道標の下に、「クマ注意」の張り紙。本当なんですかねえ。今や猪、鹿はどこでも居ますが、ウーン、クマまでこんなところにまで出没するようになったのでしょうか。  1人でウォークするのがちょっとヤバイ感じです。

Photo_6

途中、カヤマキ石とか銭壺石とか呼ばれる、弘法大師との縁云々の石があります。

Photo_7


予定コースでは丹生都姫神社に寄ることになっていましたが、我がパーティの進み具合では帰りが遅くなることが懸念されコースを短縮して、

Photo_8古峠から少し先に進み、Photo_9二つ鳥居を見たところで、引き返し、上古沢駅まで下りることとしました。

結構急な下り坂で脛が笑うのに注意してゆっくり下ります。

Photo_10 上古沢駅到着でウォークは終了です。

この後橋本駅まで南海電車で下りて、ここで反省会という名の懇親会です。

ところが橋本駅前は懇親会場として適当なお店を探してもなかなか見つからず、駅前の食堂で一品とお酒で盛り上がりました。

なんか、適当にウォークを続けていないと好調な体調を維持できないような身体になってしまったような気がします。

 寒くても、未だどこかウォークか山登の目的地を探し、せっせと足を運ぶよう努力しよう。

 (その内、歩きでもシンドクなってくるでしょうし、行ける間に行ける所に行くことが大事ですよね)

























2014年12月13日 (土)

選挙

14日(日)は会社OB会での高野山ハイクがあるので、今日(12日)に衆議院選挙の期日前投票に行って来ました。

Photo 今は期日前の投票者は多いですね。

人の流れが絶えません。

ところで和歌山県では、

Photo_2 11月30日にも知事選があったばかりです。

  知事選のポスターの隣には、Photo_4衆院選ポスター掲示板が用意されていました。

知事選そのものは、3期目の現職を共産以外の全政党に加え連合も支持、ということで勝敗の興味は全くありませんでした。Photo_3 

投票率を高め、圧勝しなくちゃ、と陣営は選挙戦を盛り上げるべく色々運動していました。私も自治会役員として集会等動員を掛けられ、後援会申込み者を集めたりしました。

でも、投票率は低かったですね。

で、衆院選ですが;

Photo_5 前回激戦を演じた自民・民主の二人が再度激突します。(当選挙区において共産党候補は当落では問題外です)

前回即日開票の当日には当落が判明しないほど接戦を演じ、負けた方も比例区で復活し2人とも議員さんにはなったのですが、今回はどうでしょう。

マスコミ等の予想ではやっぱり接戦です。私もそう思います。

この選挙区の候補は政党支持通りに行かない、個人支持での票が多くなると予測されます。  

どんな結果が出るのでしょう?  今回は選挙区で負けても比例区で復活という公式もうまくいかない可能性も高く、候補者は必至の選挙活動ですね。

投票所を出たところで、「出口調査」というものに出会いました。私としては初めての経験でした。期日前の投票者の比率がかなりあるので、当落予想には期日前の投票者のデータは要るのですね。

調査項目はズバリどの候補者に入れたかを含む選挙動向に関してです。

どう答えようか?と一瞬迷いましたが、事実の通り書きました。

出口調査って、まあ信頼できるものになるのですねえ。





2014年12月11日 (木)

不法繋留船対策事業

今日はグズついた天気でした。

ブログ更新も大分サボってしまいました。ちょっとゆとりが無かったです。

さて、タイトルにあるように、家の直ぐ近くの川の不法繋留船対策について報告します。

10年来というか、歴史は古い話です。

数年前まで、この川は、

Photo とか

Photo_3という風に多くの船が繋留されていました。なかなかの活況で、漁港等であれば結構な風景なんですが…。これは皆河川法上では違法繋留なんです。

地元自治会で行政(河川を管理する和歌山県)への陳情も行っていたようですが、「聞き置く」程度で実際の対策への動きは乏しかったです。

当時でも、既に和歌山市内の別の河川系では、

Photo_4 きれいに繋留船の対策が完了しているところも有ったのですが、わが地区では政治的圧力が不足だったのですねえ。

それでも、行政も繋留船対策が必要な政治的課題であることは分かっているので、段々腰を上げ始めます。

先ず第一の行動として、Photo_5こういう警告書を掲示します。

そして、県の政策としても当該河川の整備・不法繋留船の撤去ということが謳われるようになります。そして、この流れが決定的に重要課題となるのは、東北大地震での津波でした。多くの船が川を遡上して、被害を増大させたのです。

河川管理、安全対策上でも不法繋留船の処理が急務となったのです。和歌山県の政策報告でも、期限を切って当河川の整備が載せられるようになりました。

新たに繋留地の新設とともに繋留船の撤去指示が出されました。

その結果、

Photo_6   ほぼ不法船が無くなっています。

さらに、Photo_7繋留船は全く無くなりました。

ただ、これで終わりでなく、船だけでなく”桟橋”の撤去は未だなんです。

Photo_8   これに対しても、

Photo_9  桟橋に対し張り紙がされています。内容は

Photo_10桟橋の撤去指示書です。

ただ、これは持ち主を特定・追跡が出来ないと、桟橋を放置されても強制処分が難しいです。 指示書を一定期間張り出した後、行政の費用で桟橋撤去を行うものと推定しています。

もうすぐ、桟橋を撤去し、一旦川底の浚渫を行い、邪魔な船がなく、、水もきれいな川が再生されるのを期待しています。

 景観を変える(良くする)のは10年単位の粘り強い運動、働きかけが要るのですネ。

























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