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2014年11月29日 (土)

古代街道調査 (熊野古道 有田付近)

南海道を基本として古代官道の調査を行っているが、今回は南海道の幹線道(和歌山市加太に至る道)以外に有田方面にも南海道は通っていたという仮説の検証を目指して海南市/有田市の古代からの道(現在は熊野古道として知られる)の踏査を行った。

 調査とか踏査とか言っても、私に調査研究能力がある訳ではなく、歴史地理の専門の先生に同行しただけなんですが…。

公共交通の駅から離れた地点を歩くため、車を使います。2台の車を出発地点とゴール地点に用意します。

Photo  ゴール地点に近い、JR紀伊宮原駅で落合ます。 駅に近いコンビニに車1台を残し、1台に同乗して出発地点に向かいます。

 因みにこの「紀伊宮原駅」は思えば4年前、万葉ウォークのイベントに参加したときの集合地だったのです。それがきっかけで、紀伊万葉、和歌山の歴史街道などについての活動をすることになった、思い出深いところです。

Photo_2  こちらは調査ウォークの出発地点の福勝寺(橘本王子跡)です。ここまで車で来て、乗り捨てて歩き始めます。(車は勿論後で戻って乗り帰ります)

ここには、Photo_3 「裏見の滝」と言って、滝つぼの裏側に回れる滝があり、それがこの写真ですが、今水枯れで滝の裏がそのまま見えています。水が無い滝は、どうも意味をなさないですね。

Photo_4  ここの紅葉です

紅葉はなかなかキレイでした。Photo_5 一壺王子の銀杏。

Photo_6  爪かき地蔵です。

なお、海南・有田といえばミカンの産地で、一面ミカン畑となっています。そして今は丁度収穫期でミカン農家の軽トラとよく出会います。上りトラック空のコンテナを積んで、下りではミカンで一杯にして通っていきます。

収穫途中のミカン山は、  Photo_7こんな状態です

右側の黄色い木はみかんが未だ生っており、右側の緑の木はミカン収穫後の木です。

道路沿いでミカンを取っていたご婦人(おばさんって感じ)が、「ちょっと持っていくかい?」と言って、 Photo_8みかんをもいで分けてくれました。

田舎へいくと、人は優しいですね。 道を尋ねたり、挨拶したりしても、本当に親切、暖かさを感じられます。

ところで、今回の熊野古道沿いには、

Photo_9 や

Photo_10といった、万葉歌碑もありました。

熊野詣でが盛んになる以前、白浜に向けての御幸の道が後の熊野古道に繋がったのでしょうね。

また冒頭に述べた、私たちの専門先生が、南海道は有田地方も通っていたと考える根拠は、平城京で見つかった木簡に「紀伊国安諦郡駅戸…」との記載があり、”駅戸”が居るなら駅があった筈、つまり官道(南海道)が安諦郡つまり有田地方にもあった筈ということである。 この推定を補強する証拠が見つからないか、との意味での現地踏査と言える。

途中私の所為で少し道を間違え、遠回りになったりしたが、無事本日の目的、

Photo_11  山口王子跡に辿り着き、

コンビニに停めさせて貰っていた車に帰り、出発地点の福勝寺まで車を取りに寄って、帰ってきました。

Photo_12

本日の歩数は、  2万歩くらいでした。






















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