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2012年1月

2012年1月28日 (土)

大阪に出て (2題)

今夜はカミさんと映画見に行きます。クリント・イーストウッド監督の「J・エドガー」。
昨日の日経夕刊の評は今一つなので行くの迷いましたが、イーストウッドの映画は良く見てるし、彼が何時まで作品を作れるか分らないし、まあ見ておこうということになりました。

そんなことで、映画から帰ると今日のブログ更新が出来なくなるので早い時間での更新を行います。

昨日所要で大阪まで出てました。 そこで見、感じたこと2題
1.パチンコ
 南海電車なんば駅の構内に、一面に埋め尽くす(ちょと大袈裟か)ような宣伝の旗。
よく社内の吊り広告、壁広告を全面的に同じ宣伝ポスターにして印象付ける例がありますが、そんな感じの一斉広告でした。
 旗には「マルハンと書いてあり、赤く大きなマルMのマーク」、何の会社かな、スーパーかなって思ったのですが、なんとこれはパチンコ屋なんですねえ。
 へえ、パチンコって産業規模として大きいとは聞いていましたが、パチンコ屋も大企業なんですね。以前高知市の一等地、はりまや橋の由緒あるビルがパチンコ屋になる、ということで地元での反対やガッカリ感が起きてたようですが、パチンコ屋さんの力はすごいのですねえ。
 因みに「マルハン」はパチンコ業界のトップ企業で売り上げも1兆円を超えています。ええっ、ホンマにホンマに大企業やワ。はりまや橋に出店した、「123(延田グループ)」せいぜい業界19位なんですって。 金の力は強い、パチンコ屋に顔をしかめたり、嫌っても勝てないのが実情か…。

2.韓国人
 観光や物品購入で、韓国や中国の人たちは重要なお客さんである、ことは大分以前から言われてますよね。 春節で日本へ来る中国・台湾の人たちのことがニュースでやってましたし。 今は色んな場所で、中国語・ハングルの案内表示が見られますよね。
 で、やはり昨日の「なんば」でのこと。
 駅の改札を出ると、数十人の猫耳帽子をかぶった若者集団が居た。「ナンジャこりゃー?」と思ったら韓国からの修学旅行生の一団だった。韓国からの観光客を、目の辺りにしました。そしてなんばの地下街を歩くと行き交うカップルの言語がどうも韓国語らしく思えるのが居る。  これは韓国語の標識や案内板はやっぱり要るなあ、と実感しました。

こんなことを今頃、取り立てて実感とかいうこと自体が、遅れているのでしょうね。
日本の変化に着いて行けな~イ。

2012年1月15日 (日)

棚田

今日、ウチのカミさんが、「ネエ、棚田を見に行かな~い?」と急に言う。
うまく表現できないが、若い女性が語尾を上げて「ナントカしな~い?」という甘えたような言い方ではなく、還暦過ぎた連れ合いの有無を言わさぬ申し出である。
か弱いオットが、「行きたくない」などと返事をする余地はないのです。(^-^;
棚田なんて和歌山にあるの?石川県の白米千枚田とか千葉の大山千枚田は有名だけど。と思っていたが、カミさんちゃんとネットで調べているんですねえ。
有田川町の「あらぎ島」が全国棚田100選にも載っているようで…。
けっこう山奥で、近くに「しみず温泉」というのがあり、温泉行きと合せてのドライブとした。ただ昨秋の台風の被害を受けた辺りじゃないかと気掛かりもありルート確認してみる。観光案内では高速で有田ICから行くのが良いとなっているが、ナビタイムでは「有料優先」でも高速を選ばず、一般道からのみのルートを示す。確かに一般道を走る方が距離は短い。 通行止め区間はないみたい。
カーナビに任すと一旦高速に入るが、一区間で高速を出てしまい、一般道を走る。
この道が山越えの狭い道。車のすれ違いが出来ない道で、対向車が来たらどうしようと気が気でない。 幸いにも対向車とは2度会っただけで、丁度道が広くなってすれ違い可能な場所が近くでどちらかがバックするような事態にはならなかった。 ホっ。 あんまり運転が上手くないから狭い道はスゴク嫌いなんだけど。

で、棚田はこんな(以下)もんでした。

Photo

確かに棚田になってますねえ。因みにネットから拝借した写真では

Aragijimaniji   これはキレイですね。

(四季を通して「あらぎ島」を撮影し続けている地元在住の写真家・西林輝昌氏の作品です)

なおこのスポットは朝陽・夕陽のきれいなことでも有名らしいです。

Photo_3

食事をしたのがこの直ぐ近くの道の駅

Photo_2

棚田での滞在時間は数分でしたが、まあ珍しい景色を見られたので良かったです。

そして温泉にゆっくり浸かり、足を温めて帰路につきました。

Photo_4

帰路は山越えでなく、広い道と高速で帰りました。 これは楽なドライブでした。

清水在住の写真家、西林輝昌氏が長年にわたり撮影された写真

2012年1月 9日 (月)

大和三山ウォーキング

 ブログ更新が飛び飛びになってしまってる。 残念/情けない。
昨日(8日/日曜日)は予定通り大和三山ウォーキングに行ってきましたヨ。
 帰宅してかなり疲れていたので、ブログでの報告も出来ずに寝てしまいました。夜中2時過ぎに目が覚め、風呂で足を温めて一息ついた次第でした。

 近鉄阿部野橋駅に一時集合、橿原駅にて最終集合したご一行様の総勢は19名。ウワア多いじゃないですか。
 かつて勤務していた会社退職者をメンバーとする「歩こう会」、通常は10人前後で、今回は稀に見る多数参加となったらしい。 私が一番若く、最高齢は86歳とか。皆さんお元気!

コースは、橿原神宮にてお参りし、その後畝傍山~天の香具山~耳成山と歩き、大和八木駅に至るという標準コース。 山といっても、標高では最高の畝傍山で199.6mという低い山ばかり、ただ山と山の間も全て歩くので全行程では14Kmを歩くことになる。
 1.橿原神宮・畝傍山
  橿原神宮は境内も広く、おごそかな雰囲気がある。鳥居も巨大な白木で飾ってないのが良い。野球のユニホームを着たグループを複数見掛ける。前回ここに来たときもやはり野球関係者を多く見た、何かいわくがあるのだろうか。
 神宮の裏口付近から畝傍山に登り始める。山道を19名の一隊だと「ゾロゾロ」行くという感じのパーティとなる。
 Photo (長い列を形成しているところを映したかったけど思うようには撮れなかった)

橿原神宮を後に天の香具山に向おうとするが、神宮前の広場に”ド派手なデコトラ”の団体さんが終結していた。ここに「大日本菊水会」なる垂れ幕がある。由緒あるその筋の団体の行事があるようす。(新年会かな?)デコトラだけでなく、普通の乗用車も集まっており、ヒトを見るとこれも普通のヒトの印象。ちょっとヤンキー的なヤングママもおり家族の団欒で来ているとも見えた。 建国記念日はもっと集まるんだろうなと思いながらここは通り過ぎた。
 2.天の香具山へ
  続いて香具山まで田園地帯を歩く。畝傍山では登り下りでそれなりに他の登山者と出会ったが、香具山までの道では山ウォーキングらしいヒトとは殆ど見掛けず、リュック背負った19名のおじさん/おばさんの一行は目だっていました。
 三山の中で有名さでは香具山が一番だけど、どうも山としてはボヤケた山でダラダラとした丘みたいな感じ。登り口も曖昧だし、山頂もどこが山頂か際立つところがない。
 取り敢えず、香具山に来たことの証としての写真は以下。
Photo_2

 3.耳成山
 昼食を香具山山頂で済ませ、本日最後の耳成山へと向う。
この辺りからちょっと足がしんどくなり、歩き方がやや右足をかばうようになってくる。同行のヒトから「足は大丈夫か?」と心配されてしまった。
 耳成山に向う道は完全な田園風景、正面に耳成山を見ると右後方には二上山が見える。(畝傍山頂からも香具山山頂からも勿論見えていた)
Photo_3
耳成山は登り口付近が公園となっているが、山頂はここも何もない。登山者はそこそこの数があり、頂上三角点で写真を撮るパーティが多く、順番待ちが要る状態だった。
私は耳成山山頂の証としては以下の写真;
Photo_4
耳成山を降り、大和八木駅まで至り、本日のコースの終了。無事三山巡りを終えました。

雲一つ無い、という好天に恵まれ気持ちよく歩けました。

4.一時解散後
 もう一つのお楽しみ、反省会にも参加。鶴橋まで戻って会場を決める。
鶴橋駅前って、雑駁としていて活気もありますねえ。
Photo_5
 反省会には9名の参加。
しっかり反省し、食べ/飲みご機嫌よく終了しました。
反省会三次会はありません。  

歩き主体で激しい運動はありませんでしたが、運動そのものを控えていた自分としては結構疲れましたた。 でも無理ではなく良い運動、足のリハビリになったと思います。

この地域では万葉集の歌碑なども多く、歌も楽しみながら一日を過ごしました。

2012年1月 5日 (木)

万葉集 (万葉仮名)

万葉集が好きで良く読んでいることは以前にも書いたと思う。

多くの歌を鑑賞することや、万葉の故地を訪ね歌と背景を偲びたいとか、歴史との関係を把握して歌の意味をうより詳しく考えたい、とか思っている。

 それらの中で、訓詁学的な興味もあり、これを少し研究してみたいという気持ちが強い。

万葉集で有名な歌で、

 茜さす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる  (額田王 巻1 第20)

 春過ぎて夏来るらし白布の衣乾したり天の香具山 (持統天皇 第28)

 

銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも(山上憶良 巻5 第803)

 田子の浦ゆ打ち出て見れば真白にぞ不盡の高嶺に雪は降りける (山部赤人 巻3 第318)

  等々があるが、これらの歌が原典でこの表記をされていた訳ではない。

万葉集は、全て漢字で表記されている。そうすると上記のように漢字仮名交じりの文に誰かが解読しなければならない。 この解読作業で答えが一つとは限らず、いくつかの説が出されることとなる。

 上記の歌ではほぼ解読作業は完成し、この訓みで間違いないとされているが、未だに解読で論争の続いている歌も多数ある。

 なお前記の持統天皇の歌は百人一首では「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の…」となっているし、山部赤人の歌でも、新古今集では「田子の浦に」となっており、僅かに読み方が変っています。

万葉集巻頭の雄略天皇の歌でも、未だ訓読みが統一されているとは言えない状態です。(えらい先生のちゃんとした本でも微妙に違っている箇所がある)

前記の額田王の歌の、「紫野ゆき」は「ムラサキノユキ」と訓じることはご存知でしょうが、この部分の原文は「武良前野逝」で「武良」をムラと漢字の音を取り、「前」は「サキ」とあとさきのさきとして前の意味を読みにして、「野」はノとまた音を取っています。

「逝」はユキとなっている。 ただし、つぎの句の「シメノユキ」のユキは「行」が原文の字である。

  こんな判じ物みたいな解釈を誰が答えを出してきたんだろう。

さらに有名な万葉仮名の特徴として、「山上復有山」が「出」の意味となる例もある。(巻9 第1787)

また漢字で「十六」と書いて「シシ」と読ます歌もある。(巻3 第239)

  万葉時代に既に掛け算の九九が知られていて、遊びでも使われていたこととなる。

このようなことが推理小説なみに面白い。

明日以降、いま少し万葉仮名、万葉集の読みの解釈について調べて紹介したい。

 (今日は雑然と書いて、説明があっちこっちしてしまったと反省している。これから先、このテーマを続けるとしたら、興味を持って読んで頂ける内容とするためには相当の工夫が要ると考えています。 頑張ってみよう。)



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